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福岡地方裁判所小倉支部 昭和61年(ワ)267号 判決

原告 田邊匡彦

原告 尾崎英弥

右原告両名訴訟代理人弁護士 吉野高幸

同 前野宗俊

同 高木健康

同 住田定夫

同 配川寿好

同 横光幸雄

同 江越和信

同 下東信三

同 荒牧啓一

同 安部千春

同 桑原善郎

被告 上田保

〈ほか一名〉

右被告両名訴訟代理人弁護士 前田利明

同 森竹彦

右被告福岡県指定代理人 井上公明

〈ほか一名〉

主文

被告福岡県は原告らに対し、各金一〇万円及びこれに対する昭和六〇年一一月二五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告福岡県に対するその余の請求、及び被告上田保に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち、原告らと被告福岡県との間に生じたものはこれを五分し、その一を同被告の負担、その余を原告らの負担とし、原告らと被告上田保との間に生じたものは原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

原告ら訴訟代理人らは、「被告らは原告らに対し、それぞれ各自金五〇万円及びこれに対する昭和六〇年一一月二五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行宣言を求め、

被告ら訴訟代理人らは、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは、いずれも福岡県弁護士会小倉部会所属の弁護士であり、昭和六〇年二月二四日から二五日にかけて、訴外綾正博の屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被疑事件につき同訴外人の弁護人、少なくとも弁護人となろうとする者であった。

被告上田保は、福岡県八幡警察署(以下「八幡署」という。)の警務課長、警部であり、同県警察所属の警察官であって、同署の刑事官、警視訴外髙巣久人と共に、右被疑事件の捜査及び被疑者逮捕、留置の職務を遂行していたものであり、被告福岡県は、同県警察所属警察官を職員として雇用する普通地方公共団体である。

2  綾正博は、昭和六〇年一一月二四日午前四時一〇分頃、共産党の演説会のポスターを貼っていたとして、屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反の容疑で八幡署員に現行犯逮捕され、同日午前四時三〇分頃八幡署に連行された。

綾正博は、同署に引致されたのち、弁解録取書を作成され午前五時頃身体検査等をされたうえ、午前五時三〇分頃留置場に収容されたが、弁解録取書作成前に「北九州第一法律事務所か国民救援会の弁護士」に弁護を依頼したい旨担当警察官に申し出た。

3  原告ら両名は、綾正博の逮捕、留置後、留置場所である八幡署に赴き、同人の弁護人或いは弁護人となろうとする者として接見の申入れをしたが、被告上田保及び訴外髙巣久人から拒否されたり、妨害されたりしたところ、その事実経過は次のとおりである。

(ⅰ) (一一月二四日の接見拒否と妨害)

イ 原告田邊匡彦は、同日午前六時三八分頃八幡署に赴き、弁護士であることを告げたうえ、綾正博の弁護人となろうとする者として、同人と接見したい旨申し入れ、午前六時四二分頃被告上田保と面談し、重ねて同被告に右申入れをした。

被告上田保は、同原告の名刺をもって留置場の綾正博のところに赴き、午前七時頃までに、同人が同原告を弁護人に選任する意思のあることを確認した。

しかるに、被告上田保と訴外髙巣久人は、午前七時五分頃原告田邊匡彦に対し、「捜査の必要上、今は被疑者と面会させられない。現在取調中かどうかもいえない。捜査の必要上ということだ。弁護人選任届を取るためであっても会わせられない。」といって、接見を拒否した。

その後、被告上田保は、髙巣久人と協議のうえ、午前七時一八分頃原告田邊匡彦に対し、「午後四時になったら接見させる。それまでは一切会わせるわけにはいかない。捜査中というのがその理由である。被疑者は屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反で、本日午前四時九分に現行犯逮捕した。それ以上のことはいえない。」といって、同日午後四時に接見させる旨接見日時の具体的な指定をした。

この間、被疑者である綾正博は、ずっと留置場におり、午前七時に起床し、朝食も午前七時三〇分頃までには終了していた。

ロ 原告尾崎英弥は、同日午前七時三〇分頃八幡署に赴き、弁護士であることを告げたうえ、綾正博の弁護人となろうとする者として、同人と接見したい旨申し入れた。

被告上田保は、同原告に応対後、同原告の名刺を受取って留置場の綾正博のところに赴き、原告田邊匡彦の名刺と一緒に示して、弁護人に選任するかどうか、どちらがよいかと尋ね、同人から「田邊弁護士になって貰いたい。若し田邊弁護士ができないのであれば、尾崎弁護士になって貰いたい。」旨返事されたが、同人としては、捜査段階で三人まで弁護人を選任できるのであれば、当然原告ら両名に依頼する意思であった。

その後、被告上田保は、髙巣久人と協議のうえ、午前七時四〇分過ぎ頃原告尾崎英弥に対し、原告田邊匡彦に対すると同様、同日午後四時に綾正博と接見させる旨接見日時の具体的な指定をした。

しかし、綾正博は、午前七時四〇分過ぎ頃から午前八時頃までの間留置場を出て、指紋採取、写真撮影を行い、また、午前九時頃から九時三〇分頃までと午前一〇時頃から一一時頃まで、及び午後一時頃から一時三〇分頃までの間、それぞれ取調べのため留置場を出ていたが、それ以外の時間は留置場にいた。

ハ 原告ら両名は、同日午前八時過ぎ頃八幡署をあとにし、北九州第一法律事務所で必要書類を作成したうえ、小倉簡易裁判所に準抗告の申立をして、右被告上田保の接見日時を午後四時と指定する処分を取り消し、同被告に同日午後一時から二時までの間、一五分間を下らない時間、原告ら両名を被疑者に接見させなければならない旨の決定を得、同決定に基づき、同日午後一時三〇分から一五分間綾正博に接見することができた。

綾正博は、原告らとの接見ののち、午後一時四五分過ぎ頃留置場に戻り、その後午後三時頃から午後四時頃まで取調べのため留置場を出たが、それ以外はずっと留置場にいた。

ニ 原告ら両名は、同日午後四時五〇分頃八幡署に赴き、綾正博の弁護人として同人との接見を申し入れた。

被告上田保は、髙巣久人と協議のうえ、「一度会わせたので、現時点では会わせるわけにはいかない。いつ会わせるかもいえない。会わせない理由は捜査の必要上ということだ。現在被疑者が取調べ中か留置場にいるかも答える必要はない。」といって、接見を拒否した。

綾正博は、この際も取調べ等受けておらず、留置場にいた。

ホ 原告田邊匡彦は、北九州第一法律事務所に戻り再び準抗告申立の準備をしていたが、八幡署内で待機していた原告尾崎英弥が午後七時頃、被告上田保から午後七時三〇分より接見させる旨接見日時の指定を受けた。

そして、その結果、原告尾崎英弥及び綾正博の弁護人となろうとする訴外中尾晴一弁護士の両名が、午後七時三〇分頃から同人と接見した。

(ⅱ) (一一月二五日の接見拒否と妨害)

イ 原告ら両名は、同日午前八時五〇分頃八幡署に赴き、綾正博の弁護人として同人との接見を申し入れた。

しかし、被告上田保は、髙巣久人と協議のうえ、午前九時二五分頃応対にあらわれ、「昨日接見させたから、今日は接見させない。今日は一日中会わせるわけにはいかない。」といって接見を拒否した。

この間、被疑者である綾正博は、留置場で午前七時頃起床し、午前八時頃から留置場を出て一一時過ぎ頃まで取調べを受けていた。

ロ 原告田邊匡彦は、福岡地方裁判所小倉支部に準抗告の申立をしたが、八幡署内で待機していた原告尾崎英弥が右決定の出る前の午前一一時頃、被告上田保より今から接見を認める旨連絡を受けた。

そして、その結果、原告尾崎英弥及び綾正博の弁護人となろうとする訴外横光幸雄弁護士の両名が、午前一一時一〇分頃から同人と接見した。

ハ 綾正博は、右接見後引き続き取調べを受け、午後零時に留置場に戻ったのち、午後一時三〇分頃留置場を出て、福岡地方検察庁小倉支部に身柄付で送検され、検察官の取調べを受けたうえ、同日午後四時頃身柄を釈放された。

4  原告ら両名が綾正博の「弁護人となろうとした者」或いは「弁護人」となった時期は、次のとおりである。

(ⅰ) 刑事訴訟法三九条の「弁護人となろうとする者」は、弁護士の場合、弁護人になろうとする意思があり、且つ選任権者から選任される可能性があれば足り、事前に選任または受任の確定的意思の存在することは必ずしも要求されない。

(ⅱ) 原告田邊匡彦は、もと北九州第一法律事務所に所属し、現に国民救援会に参加している弁護士であって、過去綾正博から法律相談を受けたこともあったところ、本件被疑事件につき同人の知人から依頼されて、前記のように一一月二四日午前六時三八分頃八幡署に赴き、弁護人となろうとする者である旨を告げ、接見の申入れをしたものであり、この段階で既に「弁護人となろうとする者」であった。

仮に、刑事訴訟法三九条の「弁護人となろうとする者」が、公訴提起前の場合、弁護人選任権を有する者から弁護の依頼を受けながら、未だ選任書の提出或いは口頭の届出がなされるに至っていない者を指すと解しても、本件の被疑者綾正博は、右時点までに「北九州第一法律事務所か国民救援会の弁護士を弁護人に選任したい」旨意思表示していたから、国民救援会に参加している原告田邊匡彦は「弁護人となろうとする者」になっていた。

なお、同日午前七時頃には、綾正博が被告上田保に対し、原告田邊匡彦を弁護人に選任する旨意思表示しており、右時刻に同原告が「弁護人となろうとする者」であったことは確実である。

(ⅲ) 原告田邊匡彦は、二四日午後一時四五分頃綾正博と接見した後、同人の弁護人になることにし、八幡署の管理係にその旨告げて弁護人選任届用紙を渡し、もって弁護人となったことを口頭で届出た。(その後、管理係は、右用紙を綾正博に渡して記入させたうえ、同原告に交付した。)

(ⅳ) 原告尾崎英弥が綾正博の「弁護人となろうとする者」になった時期は、二四日午前七時頃である。

原告尾崎英弥は、当時北九州第一法律事務所に所属し、且つ国民救援会北九州総支部長であったころ、右時刻頃国民救援会の河野洋子から、「北九州第一法律事務所か国民救援会の弁護士を弁護人に選任したい。」旨の綾正博の意思を伝えられ、弁護人になろうとする意思を持ったことにより「弁護人となろうとする者」となった。

なお、綾正博は、同日午前七時四〇分頃、留置場で被告上田保から原告ら両名の名刺を示された際、どちらかを選ばなければならないと考え、田邊弁護士になって貰いたい。若し田邊弁護士ができないのであれば、尾崎弁護士になって貰いたい。」旨述べたが、三人まで弁護人を選任できるのであれば原告ら両名に依頼する意思であったものであり、少なくとも予備的に原告尾崎英弥を弁護人に選任する意思を有していたから、同原告も「弁護人となろうとする者」であった。

5  弁護人または弁護人となろうとする者が、被疑者と自由に接見することは、憲法三四条前段及び刑事訴訟法三九条一項によって認められた重要な権利である。

弁護人または弁護人となろうとする者にとって、被疑者との接見は弁護活動の第一歩であり、しかもその核心部分にあたるものである。

身柄を拘束された被疑者は、外部との連絡を遮断されて、有形無形の圧力の下で精神的に極めて不安定な状態にあり、そのため捜査機関の甘言や誘惑に乗せられやすく、被疑者としての当然の権利すら知らないままに、虚偽の自白をさせられたりする。

身体を拘束された被疑者は、法律専門家である弁護人と立会人なく面接し、事件の内容、自己の主張、捜査の状況等を説明し、弁護人から適切な助言を受け得る状態にならなければ、黙秘権さえ十分に保障されたとはいえず、自己に有利な証拠の収集や捜査側の収集した不利な証拠に対する防禦の準備も行うことができない。

このように、特に捜査段階での被疑者との接見交通は、弁護人または弁護人となろうとする者にとって、弁護活動の最も重要な部分であるところ、憲法三四条前段で保障されている弁護人依頼権は、単なる形式的な弁護人選任権ではなく、実質的に有効な弁護活動を受ける権利を意味し、被疑者被告人と弁護人との自由な接見交通権を当然に含むものであって、接見交通権は憲法上の権利であり、また、接見交通権の保障は国際的な普遍的原理である。

6  刑事訴訟法三九条三項に基づき、捜査機関が接見の日時等を具体的に指定できるのは、現に被疑者を取調べ中であるとか、実況見分、検証等に立合わせる必要がある等、被疑者の身柄を利用する必要がある時で、捜査の中断による支障が顕著な場合に限られ、その場合でも、できる限り速やかな接見のための日時等を指定しなければならないものと解すべきである。

そして、捜査機関が右具体的指定権を行使する場合は、その手順として、弁護人らと協議をして右日時等を指定しなければならず、また、指定の内容も、接見の日時等の指定はあくまで例外的措置であるから、むしろ捜査の中断による支障が顕著な時間帯を指定し、その時間帯以外は接見させる、というような方法によるべきである。

なお、取調べ中であれば直ちに具体的指定権行使の要件が満たされるというわけではなく、取調べ予定や昼食その他の食事時間等も接見申出を拒否する理由にはならず、逮捕留置中の被疑者について、執務時間外であることを理由に接見交通権を制約することも何ら根拠がなく、憲法三四条前段及び刑事訴訟法三九条に違反するものである。

7  本件において、被告上田保ら八幡署の警察官は、綾正博の弁護人となろうとする者である原告ら両名の一一月二四日午前の接見申入れ(原告田邊匡彦午前六時三八分頃、原告尾崎英弥午前七時三〇分頃)に対し、「捜査中である。」との抽象的な理由で接見を拒否したり、午後四時を接見時刻に指定したりし、裁判所の決定により結果的に接見を認めたものの、その間六、七時間に亘って接見を妨害し、また、右同人の弁護人としての同原告らの同日午後四時五〇分及び翌二五日午前八時五〇分の接見申入れに対し、「一度会わせたから会わせない。」という理由で接見を拒否し、結果的にその後接見を認めたものの、前者の場合二時間四〇分後、後者の場合二時間二五分後のことであった。

右のような被告上田保らの接見妨害行為が憲法三四条前段、刑事訴訟法三九条一項に違反し、原告らに対する権利侵害であることは明らかであり、同被告は、民法七〇九条により職務を行うについての右不法行為に基づく損害賠償責任を負い、被告福岡県は、右相被告の不法行為につき国家賠償法一条による損害賠償責任がある。

8  被告らの本件不法行為による原告らの損害は、原告らごとにそれぞれ慰謝料五〇万円ずつである。

接見交通権は、憲法及び刑事訴訟法において保障された重要な権利であって、本件で被告らが一一月二四日、二五日の両日、三回に亘って原告らの接見を妨害した責任は重大であり、そのため原告ら両名は、弁護人となろうとする者としての職務を侵害されたうえ、弁護士としての良心を著しく傷つけられ、精神的苦痛を被った。

接見交通権の重要性、本件で接見が拒否された時間、被告上田保らの具体的行動等を総合して、原告らの精神的苦痛を慰謝すべき慰謝料の額は、各人につきそれぞれ五〇万円である。

9  よって、原告ら両名は被告らに対し、それぞれ各自五〇万円、及びこれに対する不法行為終了日である昭和六〇年一一月二五日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  答弁

1  請求原因1、前段のうち原告らが福岡県弁護士会小倉部会所属の弁護士であることは認めるが、その余は不知。

2  請求原因2の前段は認める。

3  請求原因3、(ⅰ)、イ、ロのうち、原告田邊匡彦が一一月二四日午前六時四〇分頃接見の申入れをしたこと、原告尾崎英弥が同日午前七時四〇分頃原告田邊匡彦ほか一名と共に接見の申入れをしたことは認める。

当日、八幡署では、午前四時三〇分頃綾正博を同署に引致し、弁解録取書を作成後、早朝であったため、午前五時三〇分頃一旦留置場に収容して休息させたが、同人は、弁解録取時、住所氏名等を黙秘し、弁護人の選任については、第一法律事務所の弁護士に委任したい旨述べた。

その後、八幡署の前に多数の人々が参集し始め、午前六時四〇分頃黒崎合同法律事務所々属の原告田邊匡彦から接見の申出があったので、八幡署の警務課長被告上田保は、同原告と同行の北九州市議会議員訴外石田康高の両名を玄関内側に招き入れたうえ、「第一法律事務所ではない田邊弁護士を選任する意思があるかどうか、被疑者に問い合わせて来るから」と断って、留置場で綾正博の選任意思を確認ののち、「選任したいといっているので、まず、弁護人選任届の手続をしてくれ」といったところ、同原告は、「直ちに接見させよ。接見させなければ選任届の手続はとらない。」と強硬に主張した。

そこで、被告上田保は、捜査関係者と協議した結果、早朝の逮捕直後であって、被疑者をまだ留置場で休息させていたことや、休息終了後、直ちに指紋採取、写真撮影、取調べ等が予定され、中途で実況見分の必要も考えられたこと等を勘案したうえ、接見日時を午後四時と指定することに決し、午前七時二〇分頃原告田邊匡彦にその旨告知した。

右接見日時の指定に対し、同原告が「弁護人は何時でも接見できる。接見を拒否するのは違法だ。」といい張ったので、被告上田保は同原告との応対を打ち切り、午前七時三〇分頃自席に戻った。

同日午前七時四〇分頃、北九州第一法律事務所の原告尾崎英弥が原告田邊匡彦、訴外石田康高と共に、八幡署で被告上田保に綾正博との接見を申し入れた。

同被告は、原告らを含む右三名を玄関内側に待たせたうえ、留置場で休息中の綾正博に問い質し、同人が「弁護人は田邊弁護士に委任したい。同弁護士が弁護人をできないときは、尾崎弁護士に委任する。」といったので、そのまま原告らに伝えたところ、原告尾崎英弥が立腹し始め、「どんな聞き方をしたのか。どんな捜査をしたのか。署長に会わせろ。直ぐ接見させろ。」と大声で怒鳴り、午後四時に接見させるという同被告の説明に全く耳をかさず、遂には警察官に対し「馬鹿、違法だ」などと発言して、午前八時五分頃退去した。

以上に反する原告らの主張は否認する。

同ハのうち、原告らが小倉簡易裁判所の決定に基づき、綾正博に接見したことは認める。

同ニ、ホのうち、原告ら両名とほか一名の者が同日午後四時五〇分頃接見の申入れをしたことは認める。

被告上田保は、原告らが前に接見してから三時間位しか経過しておらず、捜査継続中であったので、原告らに暫く待ってくれと申し入れ、午後七時頃原告尾崎英弥らに「取調終了後の午後七時三〇分から接見させる。」旨連絡し、同原告ほか一名においてその頃綾正博と接見した。

右に反する原告らの主張は否認する。

請求原因3、(ⅱ)、イ、ロについては次のとおりである。

一一月二五日午前八時五〇分頃、原告田邊匡彦、同尾崎英弥ほか一名が八幡署を訪れ、被告上田保に面会を申し入れたので、同被告が取次の者に一寸待って貰うよう伝言させ、右原告ら三名は玄関内側で待っていた。

被告上田保は、朝の点検を終えて午前九時二〇分頃、原告田邊匡彦、同尾崎英弥らに面会したところ、同原告らから綾正博との接見の申入れを受けたので、「取調べ中なので暫く待って貰いたい。」と答えたのち、午前一一時頃接見をさせる旨通知し、原告尾崎英弥において、午前一一時一〇分頃から右同人と接見した。

同ハのうち、綾正博が同日午後送検され、午後四時頃釈放されたことは認める。

4  請求原因4は不知。

5  請求原因5ないし7は争う。

なお、本件では被告上田保個人に対する賠償請求もなされているが、公権力の行使にあたる公務員の職務上の行為について、公務員個人は責任を負わないとするのが、国家賠償法の確定した解釈である。

6  請求原因8は否認する。

7  本件の場合、一一月二四日、二五日の二日間に、原告田邊匡彦、同尾崎英弥、訴外横光幸雄、同江越和信、同中尾晴一、同荒牧啓一の合計六名の弁護士が七回に亘り、綾正博との接見を申し入れているものであるが、結局のところ、各弁護士らは、接見交通権に藉口して、八幡署に参集した抗議の人々に呼応し、警察への抗議活動を展開したものと推認される。

8  弁護人または弁護人となろうとする者と被疑者との接見交通については、時間的制約下にある捜査機関の捜査の必要性と弁護人の防禦の必要性が対立し、簡単な調和点を定めることも困難であり、そのことをふまえて刑事訴訟法三九条三項の接見日時等の指定の規定が設けられたと考えられるところ、捜査の密行性、流動性を考えれば、右指定は一次的に捜査官の合理的裁量に委ねられ、裁量の逸脱が不当と考えられるときには、準抗告手続によってその是正を計るというのが現行法の仕組である。

そして、右指定ができる場合の要件につき「現に被疑者を取調べ中であるとか、実況見分、検証等に立ち会わせる必要があるなど捜査の中断による支障が顕著な場合」という最高裁判所の判例があるが、取調中でなければ接見を認めないことが違法であるとの趣旨まで含むとは解されず、その「捜査の中断による支障が顕著な場合」の内容も今後の判例の集積を待って定まるというべく、現時点で必ずしも明確ではない。

一方、刑事訴訟法三九条三項所定の「捜査のため必要があるときは」の要件につき、捜査全般からみての必要性をいう、とする見解が少なくとも捜査機関側には有力であって、現在でも強力に主張されており、このようなことを考え合わせると、接見の申出があった場合、取調べ中でない限り必ず接見させねばならず、接見させなかったら直ちに違法との考え方は、短絡的に過ぎるというべきである。

9  このように、どのような場合に接見を認めなければ違法とされるかについて、確固たる定説がないときの捜査実務の評価にあたっては、ある事項に関する法律解釈につき異なる見解が対立し、実務上の取扱いも分かれていて、いずれにも相当の根拠が認められる場合に、公務員が一方の見解を正当とし、それに立脚して公務を執行したときは、のちにその執行が違法と判断されたからといって、直ちに右公務員に過失があったとすることはできない、との解釈が妥当する。

10  本件の事実関係中、原告ら両名が八幡署を訪れた時刻、被疑者綾正博と接見した時刻等、時の経過に関する部分は、原・被告ら双方の主張にあまり隔たりがない。

結局、原告らは、一一月二四日午前四時過ぎ頃の綾正博の逮捕から翌二五日午後一時三〇分頃の送検までの一日半たらずの間に、同人に合計三回接見しているところ、これは、八幡署の担当者が原告らの要望を受けいれたものであって、決して不当な接見妨害がなされたとはいえない。

11  なお、被告上田保は、当時八幡署の警務課長として、庁舎管理、留置場管理等を行う立場にあったが、綾正博の捜査には携わっていなかったものであり、庁舎管理の意味から原告らと応対したが、接見の許否については権限がなく、ただ単に接見申出のある都度、その権限を有する髙巣久人刑事官に取り次ぎ、同人の指示を原告らに伝えただけであって、右権限がない以上同被告に過失はない、というべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  原告ら両名が福岡県弁護士会小倉部会所属の弁護士であること、訴外綾正博が昭和六〇年一一月二四日午前四時一〇分頃、共産党の演説会のポスターを貼っていたとして、屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反の容疑で八幡署員に現行犯逮捕され、午前四時三〇分頃八幡署に連行されたこと、原告田邊匡彦が午前六時四〇分頃同署で担当者に綾正博との接見を申し入れたこと、原告尾崎英弥が午前七時四〇分頃原告田邊匡彦ほか一名と共に、同様に右接見の申入れをしたこと、原告ら両名が小倉簡易裁判所に準抗告の申立をし、同裁判所の決定に基づいて、午後一時三〇分から一五分間同署で綾正博と接見したこと、原告ら両名とほか一名が同日午後四時五〇分頃再度同署の担当者に綾正博との接見を申し入れたこと、原告ら両名とほか一名が翌二五日午前八時五〇分頃、同様に右接見の申入れをしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

そして、《証拠省略》によれば、当時、被告上田保は、八幡署の警務課長、警部であって、同署員の人事、福利厚生、教養担当等と共に留置場の管理主任者であり、訴外髙巣久人は、同署の刑事官、警視であって、捜査全般の指揮と指導をする責任者であったことが認められ、また、被告福岡県が同県警察所属警察官を職員として雇用する普通地方公共団体であることは、被告らにおいて明らかに争わない。

二  原告らは、原告田邊匡彦が二四日午前六時四〇分頃、原告尾崎英弥が午前七時四〇分頃、それぞれ最初の接見申入れをした時点で綾正博の弁護人となろうとする者であり、同日午後一時四五分頃同人と接見後、同人の弁護人であったこと、原告ら両名の右二四日午前の接見申入れにつき、被告上田保ら八幡署の警察官が当初接見を拒否したのち、午後四時に接見させる旨接見の日時を指定し、原告らの準抗告の申立による裁判所の決定に基づき、午後一時三〇分頃接見させたものの、その間六、七時間に亘って接見を遷延させたこと、原告ら両名が同日午後四時五〇分頃と翌二五日午前八時五〇分頃接見の申入れをしたのに対し、被告上田保ら八幡署の警察官が「一度会わせたから会わせない。」という理由で接見を拒否し、それぞれ結果的にその後接見を認めたが、前者の場合二時間四〇分後、後者の場合二時間二五分後であったことを主張して、以上二四日午前六時四〇分頃ないし午前七時四〇分頃と午後四時頃、及び二五日午前八時五〇分頃の三回、原告ら両名と被疑者である綾正博との接見交通が妨害された旨主張し、

被告らは、原告らの二四日午前六時四〇分頃ないし午前七時四〇分頃の接見申入れにつき、被疑者綾正博が逮捕直後であって、午前七時前留置場での起床、午前七時から朝食、その後取調べ等予定されていたので、八幡署の担当者が接見日時を午後四時に指定したことに十分時間的合理性があり、また、同日午後五時直前の接見申入れについては、夕食後取調べ予定があったため、取調べ終了後午後七時三〇分頃から接見を認め、二五日午前九時過ぎ頃の接見申入れについても、既に取調べ中であったので、取調べ終了後午前一一時一〇分頃から接見を認めたものであって、不当な接見妨害はなかった旨右原告らの主張を抗争する。

三  そこで、以下判断するに、前記当事者間に争いがない事実、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  訴外綾正博(昭和一八年九月一五日生、新日本製鉄従業員)は、昭和六〇年一一月二四日午前四時頃訴外小河某と待ち合わせて、北九州市八幡東区桃園一丁目新日本製鉄桃園社宅附近で共産党の演説会のポスターを貼っているうち、午前四時一〇分頃乗用車とワゴン車各一台に分乗した七名位の私服警察官によって、屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反の容疑で現行犯逮捕され、午前四時三〇分頃同区大谷の八幡署(現在八幡東警察署)に連行されたこと、

綾正博は、八幡署に連行されたのち、直ちに取調べ室で二人の警察官から第一回目の取調べを受けたが、被疑事実は勿論、住所、氏名等についても黙秘し、午前五時半頃には留置場に収容されたところ、右取調べが始まる前、何回か警察官に弁護士を依頼したい旨申し出、「分かった、連絡する。」「誰がいいか。」といわれ、国民救援会か第一法律事務所の弁護士を呼んでくれ、といっていたこと、

綾正博は、午前七時頃留置場で起床し、朝食後、指紋採取、写真撮影等ののち、一旦留置場に戻され、同日午前中午前九時頃から三〇分程度二回目の取調べ、午前一〇時頃から一時間程度三回目の取調べ、昼食をはさんで午後一時頃から四回目の取調べを受け、黙秘しているため質問応答のない時間も多かったが、取調べ以外の時間帯は留置場に戻されていたこと、なお、同人の取調べは、同署の警備課が担当したこと、

綾正博は、右二回目の取調べのとき、警察官に弁護士と接見させるよう要求したが、弁護士が署名をしないから選任手続ができないでいる、という趣旨の返答をされ、午後一時頃からの四回目の取調べのときにも、再度、弁護士と接見させよという話をし、警察側から、弁護士と会わせるのは午後四時頃になる、という応答をされたこと、

2  一一月二四日は日曜日であり、八幡署も休日勤務態勢であったが、共産党のビラ貼り行為を現行犯逮捕した関係で、同署に対する集団抗議行動が予想されたため、綾正博の連行後間もなく、刑事官髙巣久人、警務課長被告上田保らの幹部職員及び所謂行政室勤務の二〇名位の警察官が非常招集され、髙巣久人、被告上田保らも午前六時頃同署に出勤したこと、

被告上田保は、出勤後当直員から被疑事案の概要を聞くと共に、髙巣久人刑事官、平塚防犯課長と協議のうえ、予想される集団抗議行動に備え、同署の敷地の境界にロープを張り、玄関の内外に各二、三名の警察官を立番にたたせ、且つ弁護士の来訪に対しては右三者で対応する方針等を取り決めたこと、

また、髙巣久人刑事官は、当日招集した警察官を集めて、被疑者が氏名等を含め完全黙秘しているので、早く人定事項を知るため指紋採取と写真撮影をし、引き続き被疑者の取調べを行い、共犯者がいるようであるから共犯者の捜査をし、現場の実況見分を行う等、捜査事項の指示をしたこと、

3  原告田邊匡彦は、もと北九州第一法律事務所に所属していたが、本件当時、黒崎合同法律事務所々属の弁護士であり、原告尾崎英弥は当時北九州第一法律事務所々属の弁護士で、国民救援会北九州総支部長であったところ、原告田邊匡彦は、右二四日午前五時過ぎ頃共産党製鉄(新日本製鉄)委員会関係者からの電話連絡で同市八幡東区の革新会館に呼び出され、かねて面識のある綾正博がポスターを貼ろうとして逮捕され、八幡署に連行されている旨聞かされたこと、

原告田邊匡彦は、右革新会館に一時間程度いたのち、北九州市議会議員の訴外石田康高ほか二、三名の者と共に乗用車で八幡署に向かい、午前六時四〇分頃同署玄関前で立番中の警察官に、弁護士であることを告げたうえ「今朝四時一〇分頃、桃園でポスターを貼っていたという容疑で捕まった男がいる筈だ、その男に面会をしたい。」旨申し入れたこと、

被告上田保は、立番の警察官から連絡を受けて、平塚防犯課長と共に玄関先に出向き、原告田邊匡彦から、被疑者の弁護人となろうとする者として来署している、面会をお願いする旨接見の申出を受け、黒崎合同法律事務所名の入った同弁護士の名刺を受取ったこと、

被告上田保は、一旦署内に戻って、被疑者綾正博(但し、氏名等も黙秘している。)が第一法律事務所の弁護士を頼みたい意向であるのと、早朝のためまだ同署からの電話が通じないでいるのを確かめ、玄関先に引き返して、原告田邊匡彦にその旨伝えたのち、被疑者が弁護士を頼みたいといっているので、第一法律事務所ではない同原告を頼む意思があるかどうか尋ねてみると断ったうえ、署内に戻り、その後同原告らも署内に招き入れられ、カウンター前の長椅子附近で待機したこと、

4  被告上田保は、留置場で綾正博に原告田邊匡彦の名刺を示して選任意思の有無を尋ね、同人が「この人はよく知っておりますのでお願いします。」というのを聞き、待機中の同原告らの許に引き返して、被疑者が弁護人にお願いするといっている旨を告げ、まず弁護人選任届の手続をして下さい、というように要請したところ、この時が午前七時五分頃であったこと、

原告田邊匡彦は、右弁護人選任手続の要請につき、まず被疑者と接見させよ、弁護人選任届を取るためにこそ接見を求めている旨反論し、「弁護人になるのであれば手続をして下さい。」「弁護人選任届を取るためであっても接見は認められない。」という被告上田保らと押し問答の末、「じゃ弁護人選任届を今すぐ手続をして出せば接見させてくれるのか。」と問いただしたが、「いやそれも接見させません。」と接見を拒否されたこと、

そして、原告田邊匡彦が「弁護人となろうとする者」として何時でも接見できる筈であるとして、接見拒否の理由を種々追及したのに対し、被告上田保や平塚防犯課長らは、「捜査の必要上から会わせないんです。」「今現に取調べ中なのか、どうなのか、そんなことはいう必要がない。」などという応答に終始し、それ以上の説明をしなかったこと、

もっとも、その頃、髙巣久人刑事官、被告上田保らは、協議のうえ、被疑者が住所、氏名等を黙秘していて、早急に人定捜査の必要があることや、指紋採取、写真撮影、取調べ、共犯者の追及等の捜査予定、その他諸々の事情を検討して、右同原告申出の接見の日時を同日午後四時に指定することに決し、午前七時二〇分頃被告上田保と平塚防犯課長が同原告に対し、「午後四時になったら接見させる。それまでは一切会わせるわけにはいかない。」旨接見日時の指定を告げたこと、

原告田邊匡彦は、右午後四時の接見日時の指定につき、更に、「無茶をいうな。弁護士は直ぐに会えることができるんだ。直ぐ会わせなさい。」などと追及したが、被告上田保らから繰り返し「午後四時までは会わせない。捜査中というのがその理由である。被疑者は本日午前四時九分に現行犯逮捕した。それ以上のことはいえない。」旨応答され、そのうち同被告は、同原告との応対を打ち切って、自席に戻ったこと、

5  原告尾崎英弥は、右二四日午前七時頃、前記被告上田保の発言で綾正博が第一法律事務所の弁護士を名指していることを知った、国民救援会の訴外河野洋子からの電話で、被逮捕者の面会に来て欲しい旨依頼され、タクシーで八幡署に赴き、午前七時四〇分頃玄関前で立番中の警察官に名刺を差し出して、今朝四時頃共産党のポスター貼りで逮捕された人に接見したい旨申し入れ、その後署内に招き入れられ、居合せた原告田邊匡彦らと合流したこと、

被告上田保は、原告尾崎英弥の接見申入れを取り次がれ、玄関の方に出て同原告の名刺を受け取ると、直ちに留置場の綾正博に原告田邊匡彦の名刺と共に示して、「知っているかどうか」、「どちらがよいか」などと尋ね、「田邊弁護士をよく知っているので、田邊弁護士になって貰いたい。」「もし田邊弁護士ができないのであれば尾崎弁護士に」との同人の返答を聞いたのち、原告尾崎英弥に右同人の返答をそのまま伝えたこと、なお、綾正博は、複数の弁護人を依頼できるのであれば、当然原告ら両名を依頼する意思であったこと、

原告尾崎英弥は、右同被告の説明を聞いて、被疑者が第一法律事務所の弁護士を名指しているというのに、おかしいではないか、また、捜査段階で三人の弁護人を委任できるのに、原告らのうちいずれを頼むかというような聞き方をしたのではないか、などと語気強く反論し、更に、当時応対していた同被告及び髙巣久人刑事官、平塚防犯課長らに対し、原告田邊匡彦と共に、被疑者との接見を認めるよう繰り返し要求したこと、

被告上田保らは、右原告らの接見の要求に対し、「捜査中だから会わせられない。」「午後四時までは会わせられない。」「取調べ中かどうかはいう必要はない。」「取調べ中以外は会わせるべきだ、という原告らの主張は見解の相違だ。」「弁護人選任届を取るためであっても、警察の方で被疑者に取り次ぐので、接見の必要はないじゃないですか。」などといって、接見を認めようとしなかったこと、

なお、右交渉の過程で、原告ら両名は、八幡署の原告らの接見の申入れに対する対応が違法であると主張し、また、原告尾崎英弥が被告上田保らに対し、「馬鹿じゃないかな」と発言する場面もあったこと、

6  原告ら両名は、被告上田保ら八幡署との交渉を諦めて、午前八時過ぎ頃同署を退出し、裁判所に準抗告の申立をすべく、その準備のため裁判所近くの小倉北区内北九州第一法律事務所に向かったところ、当時同署の前には、一五、六名ないし二~三〇名の抗議の人々が集まり、ニュースカーも来ていたが、原告らが同署を退出した午前八時過ぎ頃から、ラウドスピーカーで同署に向け「警察は早朝から善良な市民を不当逮捕した。」「八幡署は被逮捕者を速やかに釈放せよ。」「税金どろぼう」「被逮捕者は完全黙秘で頑張れ。」などと放送し始め集団抗議の人々もシュプレヒコールを行ったこと、

右集団抗議の人々は、その後も増加し、最も多い時で五~六〇名ないしそれ以上になり、また、右ニュースカーも、八幡署表裏の周辺公道上から同署に向け右のような抗議の放送を繰り返していたが、後記のように原告尾崎英弥らが午後七時三〇分頃より綾正博と接見した経過の説明を受けたのち、同署前から退去したこと、

7  原告ら両名は、北九州第一法律事務所で連名の準抗告申立書を作成し、同原告田邊匡彦の陳述書を添付して、同日午前一〇時頃裁判所の当直に提出し、午後零時三〇分頃小倉簡易裁判所から、八幡署の接見日時を午後四時とする指定処分の取消と、午後一時から二時までの間に一五分を下らない時間、同原告らを被疑者に接見させよ、とする別紙記載(主文)の決定を得たこと、

なお、この間午前九時四五分頃、黒崎合同法律事務所の訴外横光幸雄弁護士が八幡署に赴き、綾正博との接見を申し入れたが、八幡署では同弁護士に対しても、同様に、午後四時から接見させる旨、接見日時の指定をしたこと、

八幡署は、午後一時前後頃裁判所から右準抗告に対する決定書の送達を受け、髙巣久人刑事官、被告上田保らにおいて、同決定に従い、決定の指示する時間に接見をさせることにし、当時午後一時頃から綾正博の取調べを行っていたが、途中取調べを中断させて、午後一時三〇分頃から一五分間に限り原告ら両名と綾正博を接見させたこと、

原告ら両名は、右接見の際、綾正博が住所、氏名等を黙秘していることを確認したほか、原告らが接見申入れをしていた時間帯の取調べ状況等を聞き出した程度であったが、接見後いずれも同人の弁護人となることにし、後刻八幡署の担当者を通じて、弁護人選任届に同人の署名等をして貰い、これを受け取ったこと、

綾正博は、右接見後留置場に戻され、その後午後三時頃から一時間程度取調べを受け、この際は被疑事実についてよりも、雑談めいた問答が多かったが、同日その後取調べ等なかったこと、

8  原告ら両名と京築法律事務所の訴外中尾晴一弁護士は、同日午後四時五〇分頃八幡署に赴き、被告上田保らに対し再度綾正博との接見を申し入れたこと、

被告上田保は、「さっき会ったばかりじゃないですか。」「一寸待って下さい。」「警察の立場も考えて下さいよ。」「あなた達も法律家なら、警察に制限時間があるのは知っておるでしょう。」「今日はもう一回会わせたので、会わせられない。」などといって接見を認めようとせず、原告らの追及に対し、「捜査中だからとにかく会わせられない。」「取調べ中かどうかいう必要はない。」など午前中と同様の返答をし、あとでは応対を打ち切って自席に戻ったこと、

この押し問答の際、八幡署の山本管理係長が原告らに対し、「四八時間以内に一回会わせればいいんだ。」「会わせるかどうかについては署長の権限で、あんた方にどうこういわれる筋合いはないんだ。」などと大声で発言する場面もあったこと、

原告らは、午後五時一〇~二〇分頃再び準抗告の申立をすることにし、そのため原告田邊匡彦が一人で八幡署を出て北九州第一法律事務所に向かい、原告尾崎英弥と中尾晴一弁護士が同署に残って、署内の電話で何回も原告田邊匡彦と連絡をとりつつ、同原告の裁判所への申立と裁判所の決定を待ったこと、

その後、被告上田保は、髙巣久人刑事官の指示に基づき、午後七時頃待機中の原告尾崎英弥と中尾晴一弁護士の処に赴き、特に理由を述べずに、午後七時三〇分から接見を認める旨通告し、同原告と中尾晴一弁護士において、まだ準抗告申立の書類を裁判所へ提出前であった原告田邊匡彦に右申立の差止めを電話連絡したうえ、午後七時三〇分頃から一〇~一五分間程度綾正博と接見したこと、

原告ら両名と中尾晴一弁護士が右接見申入れをした当時、綾正博は留置場にいて取調べ等受けていなかったところ、髙巣久人刑事官は、被告上田保から右原告らの接見申入れを連絡された時も、同被告をして午後七時三〇分から接見を認める旨告げさせた時も、綾正博の具体的な取調べ状況の確認等しておらず、また、原告尾崎英弥らは、この接見の際は右同人に主として被疑事件の内容、現行犯逮捕時の状況等を尋ねたこと、

9  翌一一月二五日、綾正博は、留置場で午前七時頃起床し、午前八時三〇分頃から取調べを受け、途中同人の氏名等が判明したことを告げられたが、後記午前一一時一〇分頃から二〇分程度原告尾崎英弥らとの接見を挾んで、正午近くまで取調べが続いたのち、留置場で昼食をとり、午後福岡地方検察庁小倉支部に身柄付で送検されたこと、

原告ら両名は、北九州第一法律事務所の訴外荒牧啓一弁護士と共に、同日午前八時五〇分頃八幡署に赴いて、前日に続き、綾正博との接見を申し入れたこと、

右二四日も、八幡署の前には、二~三〇名ないし五~六〇名の抗議の人々が集まり、ニュースカーも来て、午前九時前後頃から前日同様、警察に対する抗議の放送やシュプレヒコールを行っており、また、原告らのほか、北九州第一法律事務所の訴外江越和信弁護士も接見申入れに加わるべく駆け付けたが、署内に入ることができず、引き返したこと、

被告上田保は、同日午前八時頃出勤し、午前八時半頃から当日出勤者に対する点検、指示、訓示等の日常業務に従事中、右原告らの接見申入れを取り次がれ、髙巣久人刑事官と連絡のうえ右点検等終了後の午前九時過ぎ頃から応対に出て、「あなた達は今日も面会ですか。」「昨日二回会っておりますが、今日また会われるんですか。」と述べ、何回でも会わせなければならないと主張する原告らに対し、「警察の立場も考えて下さいよ、調べもしているし、それに送致もせにゃいかんでしょう、今日昼頃には送りますよ、いつ捜査したらいいんですか。」などといって、接見を認めようとしなかったこと、

原告らは、やむを得ず三度準抗告の申立をすることにし、前夜と同様、原告田邊匡彦が北九州第一法律事務所に戻って申立の準備をし、荒牧啓一弁護士もその後所用で帰ったため、原告尾崎英弥が八幡署に残ったところ、被告上田保は、午前一一時頃になって、髙巣久人刑事官の指示に基づき原告尾崎英弥に対し、前夜同様特に理由を述べることなく、午前一一時一〇分から接見を認める旨告げたこと、

原告尾崎英弥は、当時既に準抗告の申立をし、担当裁判官に事情説明等をしていた原告田邊匡彦に、接見が認められることを電話連絡のうえ、午前一〇時頃から来合わせていた前記横光幸雄弁護士と共に、午前一一時一〇分頃から二〇分間程度綾正博と接見し、この際は、同人の質問に答える形で、主として送検後の手続等の説明をしたこと、

原告ら両名と荒牧啓一弁護士が右接見申入れをした当時、綾正博は取調べ中であったが、髙巣久人刑事官は、被告上田保から右原告らの接見申入れを連絡された時も、同被告をして午前一一時一〇分から接見を認める旨告げさせた時も、当然取調べ中であろうとの考えのもとに、具体的な取調べ状況の確認等しておらず、被告上田保も午前一一時一〇分頃、担当者に取調べの中断を指示して、右接見を行わしめたこと、

10  綾正博は、同日午後二時前頃福岡地方検察庁小倉支部に身柄付で送検され、午後二時半頃から検察官の取調べを受けたのち、午後四時前頃身柄を釈放されたこと、なお、同人の本件被疑事件は、その後不起訴処分になったこと、

以上の各事実が認められる。

四  刑事訴訟法三九条一項所定の身柄の拘束されている被疑者に接見交通権が認められる「弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者」とは、同法三〇条一、二項所定の被疑者本人、被疑者の法定代理人、保佐人、配偶者、その他弁護人選任権を有する者から当該被疑事件について弁護の依頼を受け、受任の意思を有しながら、未だ選任手続としての弁護人選任届書の作成、或いはその捜査機関への提出、若しくは口頭による届出等を行っていない者をいうと解せられる。

しかるところ、前記当事者に争いがない事実、及び右認定した事実によれば、綾正博は、屋外広告物条例違反等の容疑で現行犯逮捕され、八幡署に連行されたのち、同署の警察官に国民救援会か第一法律事務所の弁護士に弁護人を依頼したい旨申し出ており、原告田邊匡彦は、当時第一法律事務所には属していなかったが、綾正博の支援者らの依頼で、一一月二四日午前六時四〇分頃同署に駆けつけ、黒崎合同法律事務所名入りの名刺を出して同人との接見を求めた際、同人が留置場で右名刺を示して意思確認をした被告上田保に対し、同原告をよく知っているので弁護人に頼みたい旨意思表示をしているから、その時点以降同人の依頼により同人の弁護人となろうとする者であった、と認められる。

また、原告尾崎英弥は、当時北九州第一法律事務所々属の弁護士であったから、国民救援会の河野洋子からの連絡で、綾正博が第一法律事務所の弁護士を頼みたい意思である旨知らされ、同人との接見に赴いた時点以降、同人の依頼を受けて、本件被疑事件につきその弁護人となろうとする者であり、被告上田保が留置場で同人に同原告に対する弁護人依頼意思の確認をしたのちも、右弁護人となろうとする者としての地位に変更はなかった、と解するのが相当である。

五  刑事訴訟法三九条一項は、身体の拘束を受けている被告人または被疑者が弁護人または弁護人となろうとする者と立会人なくして接見することができる旨規定し、三項で捜査機関が捜査のため必要があるときは、公訴提起前に限り、右接見に関し日時、場所、及び時間を指定することができる、但し、被疑者の防禦の準備をする権利を不当に制限してはならない旨、接見交通権と捜査の必要性との調整を図っているところ、右法条は、憲法三四条の抑留、拘禁に対する保障の趣旨を受けた規定であって、捜査機関が弁護人または弁護人となろうとする者から被疑者との接見の申出を受けたときは、原則として何時でも接見の機会を与えなければならないのであり、現に被疑者を取調べ中であるとか、実況見分、検証等に立ち会わせる必要がある等捜査の中断による支障が顕著な場合には、右弁護人等と協議してできる限り速やかな接見のための日時等を指定し、被疑者が防禦のため弁護人等と打ち合せることのできるような措置をとるべきである、と解される。(最判昭和五三年七月一〇日民集三二巻五号八二〇頁参照)

1  これを本件についてみると、まず、一一月二四日午前六時四〇分頃から七時頃にかけて、原告田邊匡彦が被疑者綾正博の弁護人となろうとする者として、同人との接見を申し入れたのに対し、警務課長の被告上田保や平塚防犯課長らが弁護人選任手続の先行を要求し、且つその選任手続のためであっても接見を認めず、仮に選任届を提出しても接見を認めるわけではないとして、同原告の申入れを拒否したのは、刑事訴訟法三九条一項に定める被拘束者との接見交通権を理由なく否定するものであって、違法であるといわざるを得ない。

次いで、髙巣久人刑事官と被告上田保らが協議のうえ、午前七時二〇分頃同原告に対し、また、午前七時四〇分頃同様に接見の申入れを原告尾崎英弥に対し、いずれも「午後四時になったら接見させる。それまでは一切会わせない。」旨接見日時を指定した点について、同人らは、被疑者綾正博が住所、氏名等まで黙秘していて、人定捜査が急がれたのと、指紋採取、写真撮影、取調べ、共犯者の追及等の捜査予定、その他諸事情を検討して、右接見日時の指定をした、というのである。

しかし、人定捜査が急がれ、指紋採取、写真撮影等が予定されていたからといって、その前後に弁護人となろうとする者との接見を認める時間的余裕がなかったとは考えられず、取調べの予定、或いは被告ら主張の実況見分等が必要となったとしても(但し実際には行われていない。)、右指定の午後四時まで接見を認め得ない時間的制約ないしその他特別な事情があったことを認めるべき証拠は存しない。

なお、当時、被疑者綾正博は留置場にいて、午前七時頃起床し、その後朝食等留置場の規則に従った処遇を受けていたが、その間接見を認めるのが難しい事情がある場合には、被告上田保ら担当者において、原告らにそのことを説明したうえ、接見できる時間帯を協議して定めれば済むことであると考えられる。

従って、髙巣久人刑事官、被告上田保らが午後四時に接見させる旨接見日時を指定した処分は、刑事訴訟法三九条三項所定の指定要件を欠くものであって、違法であると解すべく、右指定処分は原告らの準抗告申立による裁判所の決定により取消され、同決定に基づき午後一時三〇分頃から一五分間原告らと綾正博との接見が実現するに至っているけれども、それまでの間接見交通が妨害されたものというべきである。

2  次に、同日午後四時五〇分頃、原告ら両名が訴外中尾晴一弁護士と共に再度綾正博との接見を申し入れたのに対し、被告上田保は、「さっき会ったばかりじゃないですか。」「今日はもう一回会わせたので会わせられない。」などといって、当初、事実上申入れを拒否し、午後七時頃になって髙巣久人刑事官の指示に基づき、午後七時三〇分から接見を認める旨接見日時の指定を通告し、現実にその頃から一〇~一五分間程度、原告尾崎英弥と中尾晴一弁護士を右同人に接見させている。

しかし、この時、綾正博は、留置場にいて取調べ等を受けていなかったものであり、髙巣久人刑事官は、同人の具体的な取調べ状況を確認しないまま、午後七時頃まで接見の日時を指定しなかったものであって、右原告らの接見申入れに対する同刑事官及び被告上田保らの措置は、刑事訴訟法三九条一項違反の接見拒否か、同条三項所定の指定要件を欠く処分であって、違法であると解せられる。

3  次に、翌一一月二五日午前八時五〇分頃、原告ら両名が訴外荒牧啓一弁護士と共に綾正博との接見を申し入れたのに対し、被告上田保は、「昨日二回会っておりますが、今日もまた会われるんですか。」「警察の立場も考えて下さいよ。」などといって、当初、接見を認めない態度をとり、午前一一時頃になって髙巣久人刑事官の指示に基づき、午前一一時一〇分から接見を認める旨接見日時の指定を通告し、現実にその頃から二〇分間程度原告尾崎英弥と横光幸雄弁護士を右同人に接見させている。

しかして、この時、綾正博は、実際に取調べを受けていたから、髙巣久人刑事官ら捜査官としては、刑事訴訟法三九条三項に則り、右原告らの接見申出につきその接見日時等を指定することができたのであるが、同刑事官はこの際も右同人の取調べ状況を確認せずに、午前一一時頃漸く右接見日時の指定をし、被告上田保もその指定に基づき、担当者に取調べの中断を指示して、接見を行わしめているのであって、果たして右接見日時の指定が捜査のため必要なものであったのかどうか、疑問の余地があり、少なくとも、右指定までの間事実上接見拒否の措置がとられた点、違法というべきである。

六  被告らは、本件の場合、一一月二四日、二五日の二日間に、原告ら両名と訴外横光幸雄、同江越和信、同中尾晴一、同荒牧啓一の合計六名の弁護士が七回に亘り綾正博との接見を申し入れているものであり、接見交通権に藉口して、集団抗議の人々と呼応し八幡署への抗議行動を行ったものである旨主張する。

前記認定した事実によれば、原告ら両名及び右被告ら主張の各弁護士の綾正博との接見申入れが、右集団抗議の人々と呼応する形で行われていることは、被告ら主張のとおりと推認され、そのことが八幡署側の対応を必要以上に硬化させたことも否めないところであるが、原告ら両名が行った接見申入れの態様、状況、回数、時期、接見の内容等を考え併せると、右原告ら両名の接見申入れが接見交通権に藉口した権利の濫用であるとまでは認められず、右被告ら主張の事情は接見交通妨害の違法性の程度ないし損害賠償額の算定につき斟酌すべきものと解するのが相当である。

七  被告らは、捜査機関が接見日時を指定できる刑事訴訟法三九条三項所定の「捜査のため必要があるときは」の要件につき、所謂限定説と捜査全般の必要性をいう非限定説とがあって、どのような場合に接見を認めなければ違法とされるのか定説のない現状のもとで、被告上田保ら八幡署の警察官が原告らの接見申入れに本件のような対応をしたからといって、直ちに過失があるとはいえず、また、被告上田保には、接見許否についての権限がなかったから、この点でも過失がない旨主張する。

しかし、右「捜査のため必要があるとき」の解釈につき、現段階で捜査全般の必要性で足りるという非限定説によった捜査実務が行われている、との証明はなされておらず、仮に右非限定説によるにしても、その捜査の必要性は抽象的なものでなく、罪証隠滅の防止、その他具体的な内容をもつものであるべきであるうえ右具体的指定の要件がある場合も、捜査機関としては、弁護人らと協議して、できる限り速やかな接見のための日時等を指定し、被疑者が防禦のため弁護人と打ち合わせることのできるような措置をとるべきであること、前記のとおりである。

しかるに、八幡署の髙巣久人刑事官と警務課長の被告上田保らは、原告らの二四日朝の接見申入れにつき、当初接見を拒否し、その後、右具体的指定要件を誤って、接見日時を午後四時とする違法な処分を行い、同日夕方の接見申入れ、翌二五日朝の接見申入れにつき、それぞれ前記のような事実上拒否の措置をとったり具体的な指定要件がないのに指定処分をしたりしているものであって、右各違法行為につき少なくとも過失があったものと認められる。

また、本件の場合、被告上田保が綾正博の被疑事件の捜査に携わってなく、その捜査との関連上、同人と弁護人らとの接見に関する権限の責任者が髙巣久人刑事官であったことは被告ら主張のとおりであるが、同被告も警務課長として、留置場の管理主任者であったから、髙巣久人刑事官の指揮下、或いはその指揮を離れた部分で、なお右接見に関する権限があったものと解せられ、この点に関する被告らの主張も全面的には採用し難い。

八  してみると、被告福岡県は、八幡署の警察官として公権力の行使に当る髙巣久人刑事官、警務課長被告上田保らの右職執執行についての違法行為につき、国家賠償法一条一項によりそのため原告らが被った損害を賠償すべき義務がある。

もっとも、原告らは、本訴において被告上田保個人に対しても賠償請求をしているところ、公権力の行使に当る国または公共団体の公務員が、その職務を行うにつき、故意過失によって違法に他人に損害を与えた場合は、当該公務員の所属する国または公共団体が被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責任を負わないと解すべきであるから、原告らの同被告に対する請求は、この点で理由がなく、失当として排斥を免れない。(最判昭和三〇年四月一九日民集九巻五号五三四頁参照)

九  前記認定した事実によれば、原告らは、右髙巣久人刑事官、警務課長上田保らの接見交通権侵害の違法行為により、弁護人となろうとする者として十分職責を果たせず、接見申入れの都度必要以上の交渉や準抗告の申立、或いはその準備に予想外の労力負担を余儀なくされるなど、弁護士として少なからず精神的苦痛を被ったものと認めることができるところ、その慰謝の額は、右違法行為の態様、回数、程度、及び前記六の被告主張のような事情、その他一切を総合して、原告両名につき各一〇万円ずつと認めるのが相当である。

一〇  以上により、原告らの本訴請求は、被告福岡県に対し各一〇万円宛の右慰謝料、及びこれに対する違法行為の終了日である昭和六〇年一一月二五日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右部分を認容すべく、同被告に対するその余の請求並びに被告上田保に対する請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、なお仮執行宣言は不相当と認め付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中貞和 裁判官村岡泰行、同村田渉は転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 田中貞和)

〈以下省略〉

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